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名古屋地方裁判所 昭和33年(わ)1219号 判決

被告人 加藤道春

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある白木綿ハンカチ一枚(証第十九号)、茶色皮製がま口一個(証第二十号)、海老茶色皮製物入(証第二十一号)、布製手提袋一個(証第二十二号)、黒色ビニール製チャック付ハンドバッグ一個(証第二十三号)黒色容器入朱肉一個(証第二十四号)、黒色レザー小型ハンドバッグ一個(証第二十五号)、黄色セルロイド製煙草ケース一個(証第二十六、七号)はいずれも被害者Bの相続人に還付する。

理由

(事実)

被告人は、肩書本籍地において生まれ、尋常高等小学校高等科を卒業し、昭和十四年頃から工員として働き、昭和十五年頃には妻すま子(大正十二年十一月十九日生)を知り、双方の親が反対するにもかかわらず刈谷市内に部屋を借りて同棲生活に入つたが、昭和十六年志願して軍隊に入り、終戦により昭和二十二年夏復員した。生家に落着き実家に帰つていたすま子を呼び寄せ、同年十一月頃普通自動車運転免許を取得し、運輸会社などを経て昭和二十五年四月一日刈谷市役所に自動車運転者として勤務するようになり、昭和二十九年頃愛知県愛知郡豊明町大字前後字五軒屋に生家の一部を移築して住み、その間にすま子と正式に婚姻し、二子をもうけたが、同女は昭和三十一年七月頃から血の道あるいは神経衰弱といわれる病気にかかり、家事に人を頼み、自宅で療養し、子を生めば良くなるかと昭和三十二年三月末子を生んだが、病状は回復しなかつた。このようにすま子の病気が長引いていたところ、被告人は、昭和三十二年十月四日頃、上役に伴なわれて名古屋市港区港陽町特殊飲食店亜細亜こと山田兼次郎方に上り、接客婦沢谷初江(大正十三年五月五日生)を相手に一夜を過ごした。被告人は、初江に心を奪われ、その後は、しばしば給料を妻に渡さなかつたり、あるいは借金までもして初江の許で宿泊遊興し、同年十二月頃には同女に対し独身であると詐つて結婚を約し、昭和三十三年一月には、妻すま子を騙して金策させたうえ、青森県にある初江の郷里へ同女と旅行し、遂に上司である三浦圭二の知るところとなり、同月末頃肩書住居に引越し、同人の監督を受けることとなつた。しかし、その後も初江の許に通うことを止めず、同年三月頃妻子を捨てて初江と青森まで駆落して世帯をもとうと考え、その時期を同年五月末頃までと同女に約束し、右資金に退職金を充てようと思つたが、上司から相手にされなかつたため、退職することもならず、その捻出に苦慮していたのであつた。

被告人は、初江との約束の日を徒過し焦慮していたところ、同年六月上旬初江から被告人の不在中電話があつたことから、同女が右青森行を催促して来たものであると思い込み、ここに至つてはなんとしてでも早く金を作ろうと意を決し、愛知県愛知郡豊明町大字前後字善江千六百七十七番地に娘A(昭和十四年九月二十三日生)と親子二人で暮し、薬の行商などをしていたB(明治三十三年四月二十六日生)を、以前から近隣の関係で金を借受けたり、妻すま子の右病気に際しては薬を買求めるなどしてよく知つており、Bには多少の蓄えもあることに眼をつけ、同女から薬代金の未払分等一万二千円位の支払方の請求があつたので、これを返済すると申し詐り同女を呼び出して殺害したうえ、所持金品を強奪し、さらにAを誘き出して現金貯金通帳等を持出させて殺害したうえそれらを強奪し、犯行の発覚を防ぐため、右二人の死体を土中に埋めようと企て

第一、昭和三十三年六月上旬頃、刈谷市役所土木課常傭人夫角谷七五郎から柄付スコップ一挺(証第十六号)を借受け、同月中旬頃、被告人がいつも運転していた乗用自動車ポンテアックの後部トランク内に隠し入れて、右計画に備えBが被告人の許へ右債務の支払請求に来るのを待ち設けていたところ、同月十九日午後七時三十分頃同市役所自動車置場の前で右請求に来たBと会い、Bに対し同年七月四日支払う旨嘘を云い、当日午後八時頃支払を受けられると思つて同市役所まで出掛けて来たBを、同市と愛知郡の境界を流れる境川が同市内を流れる逢妻川の堤防上に連れ出して殺害し、右計画の実行にかかろうと腹を決めて、迎えたが、いざとなるとその決心がにぶり同女に対し、すま子が女に使うといけないといつて被告人に金を渡さないから今は払えないが改めて被告人宅まで来て貰いたい旨虚言を弄してBの都合を尋ねたうえ、同月七日午後八時頃同郡豊明町大字前後字善江千七百二十八番地の二附近国道第一号線路上まで自動車で迎えに行くことを打合せておき、当日午後一時頃、同夜右ポンテアックが他に使用されることを知つて、その後部トランクに入れてあつた右柄付スコップを取出し、刈谷市長所有の小型乗用自動車トヨペット・クラウン・デラックスの後部トランクに入れ替え、同日午後七時四十五分頃右打合せ場所へ赴くに当り、若いAを殺すには首を手で締めるだけでは失敗するかも知れないと考えて、同市役所自動車車庫内控室物置にあつた電線コード(証第十三号)を右自動車運転台ダッシュ板ポケット内に入れたうえ、右自動車を駆つて同日午後八時十分頃右打合せ場所に着き、待つていたBを運転台左側助手席に乗せ、右自動車を運転して刈谷市内に入り同女を殺害する機会を窺ううち、同日午後九時頃同市大字小山字広見五十六番地の二地先恩田川堤防道路上において、たまたま道路の窪みに右自動車の前輪が落ちて停車するや、この機会に同女を殺害してその所持する巾着を強奪しようと決意しいきなり左手を同女の頸部にかけて被告人の左腿の上に仰向けに同女を引倒し、同女が金は要らないからやめてくれと歎願するのを聞き入れず両手で同女の頸部を扼して即時窒息死させたうえ、同女所有の現金二百三十円位在中の茶色皮製がま口一個(証第二十号)外雑品数点(証第十九号、第二十六号、第二十七号はその一部)在中の巾着一個を強奪し、

第二、右犯跡を隠蔽するため、即時右Bの死体を右自動車後部トランク内に積み込み、同日午後十時頃同市大字西境字堀江二号地先境川東堤防下川原まで運び、同所で用意して来た右柄付スコップを使用して穴を掘つたうえ、同女の死体をその内に埋没してこれを遺棄し、

第三、右犯行後、直ちに右自動車を運転して同日午後十一時頃前記B方へ赴き、何も知らないAに対し、Bが交通事故により負傷して刈谷市内の病院へ入院したから、貯金通帳等大事な書類や印鑑を持つて一緒に病院へ来るようBから依頼された旨虚言を弄してAを欺き、現金貯金通帳等を取りまとめて風呂敷包にして持ち出した同女を右自動車助手席に乗せ、同市内に入り同女の殺害の機会を窺いながら同市内を運転し廻つていたが、同女が不審を懐き始め、かつ時間も経つてくるので、もはや猶予できないと感じ、同市内亀城公園で同女を殺害したうえ右風呂敷包を強奪することを決意し、翌八日午前一時三十分頃同市大字刈谷字旧城郭六十番地先同公園北側草むらに右自動車を突込んで停車させ、右自動車運転台ダッシュ板ポケットから前記電線コードを取出し、被告人に背を向けていた同女の頸部に背後から右電線コードをかけて被告人の左腿の上に仰向けに同女を引倒し、同女の頸部を締めつけたところ、同女が苦しさの余り、足をばたばたさせ助手席側のドアを蹴つたので、右ドアのガラスが割れることをおそれ右電線コードをさらに同女の頸部に一巻きしたうえ、右ドアを開けると、同時に車内灯が付き、同女のめくれたスカートから大腿部が白く浮び上つたのを見て、にわかに劣情を催し、どうせ殺すのだから同女を姦淫しようと決意し右電線コードをさらに同女の頸部に二巻き巻きつけて結んだ後、人事不省に陥つている同女を右自動車から右草むらに抱き下ろして寝せ、同女のズロースを外して同女を姦淫し、その後右絞頸に因り同女を窒息死させたうえ、B所有の現金一万三千円位在中の黒色レザー小型ハンドバッグ一個(証第二十五号)等袋物二点(証第二十一号、第二十三号)、郵便貯金通帳五冊位等証書類八点位、皮サック入印鑑一個外雑品数点(証第二十四号はその一部)在中の布製手提袋一個(証第二十二号)を包んだ風呂敷包一個およびA所有の定期券一枚等在中のセルロイド製定期券入一個を強奪し

第四、右犯跡を隠蔽するため、即時右Aの死体を右助手席に載せ、同日午前二時三十分頃同市大字熊字新新田十五番地の一地先逢妻川左岸堤防下草原まで運び、同所で、前記柄付スコップを使用して穴を掘つたうえ、同女の死体をその内に埋没してこれを遺棄したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法律の適用)

被告人の判示所為中第一および第三の強盗殺人の点は各刑法第二百四十条後段に、第三の強盗強姦の点は同法第二百四十一条前段に、第二および第四の死体遺棄の点は各同法第百九十条にそれぞれ該当するところ、右第三の強盗殺人と強盗強姦とは一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段、第十条により重い強盗殺人の罪の刑に従い以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから右各強盗殺人の罪につき所定刑中いずれも死刑を選択し、同法第四十六条第一項本文、第十条により犯情の重い第三の強盗殺人の罪につき被告人を死刑に処する。主文第二項掲記の各物件中白木綿ハンカチ一枚(証第十九号)および黄色セルロイド製煙草ケース一個(証第二十六、七号)は第一の犯行により、その余は第三の犯行により得た賍物であつて、被害者に還付すべき理由が明かであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項により被害者Bの相続人に還付し、訴訟費用については同法第百八十一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

本件の量刑については判示事実を一読したのみで、極刑はやむをえないものであることが、首肯されるであろうが、更に念のためここに被告人の犯情を検討するに、本件の罪責の最も重大と思料せられる点は、何等非違のない二人の人間、すなわち人生における責務の大半を果たし平穏な余生を送ろうとする老人と清純無垢な人生の開花期にある乙女に対する無惨残忍な殺害強奪ならびにその清純さに対するこの上ない恥辱である姦淫の行為である。この残忍非道な行為に出た動機の主な点は、病身の妻を厭い、三人の幼児を棄てて情婦と駆落する資金欲しさにあつたもので、その動機において何等酌量すべき点がない。被害者Bは被告人の妻に薬を分けてやつたり、金を貸してやつたりして親切に交際していたもので、被告人に対して借金の請求を強くしたこともなく、被告人に恨を受ける事情は少しもなかつたのである。犯行の態様方法等は、周到な計画の下になされ犯跡の隠蔽手段を考えて、一月間にわたり犯罪意思を持ち続けて機会を待ち、被害者らの被告人に対する信頼を利用しいずれも虚言を弄して誘き出し、さらに他に救いを求めることのできない場所に連行して行われ、その間被告人は冷静冷酷に行動して殺害方法も不必要なまでに念が入つており、また死体の隠匿にも工作が加えられてあつて、残忍極まりないものである。犯罪後においても、被告人は平然と職場に勤務しており、その残忍兇悪な犯罪性は蔽い隠すことはできない。そして、一挙に愛する親と妹との非業の最後に遇い、あまつさえ、汚がされ、見るも無惨な姿となつて土中から発掘された遺体を眺めた被害者らの遺族が非常な衝撃を受け、如何に嘆き悲しみ、痛憤しているかは察するに余りあり、本件が報道機関により広く伝達されて社会に及ぼした影響が深甚なものであつたことは明かである。

かようにみてくると被告人の犯した行為は最も悪質なものであり他に及ぼした影響も多大なものがあり、その責任は重大であるといわなければならない。被告人は現在においては悔悟し被害者らの冥福を祈つている事実、社会の一部から同情を寄せられている事実等が窺がわれ、更に被告人の家庭の事情等事実取調の結果に顕われた被告人に有利な一切の事情を斟酌しても被告人の罪責の重大さを軽減するには至らず、なおかつ、被告人に対しては極刑を以つて臨むのが相当と断定せざるを得ないのである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 赤間鎮雄 石川正夫 豊島利夫)

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